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11月25日は小説家・三島由紀夫の命日 『もーれつア太郎』を読もう! 【きょうのマンガ】

2014/11/25


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小学館文庫『赤塚不二夫名作選 もーれつア太郎』
赤塚不二夫とフジオプロ 小学館 \600+税


今日11月25日は、小説家・三島由紀夫の命日である。自衛隊の市ヶ谷駐屯地(現在の防衛省本省)で東部方面総監を監禁し、バルコニーで自衛隊の決起を促す演説をしたのち、割腹自殺を遂げた。

さて、三島由紀夫といえば、知る人ぞ知る「マンガ読み」でもあった。今年の夏に東京都練馬区立美術館で開催された「あしたのジョー、の時代展」の公式図録兼図書(練馬区立美術館刊)から引用しよう。
「三島は、「あしたのジョー」を読むため最新号の発売日に毎週『週刊少年マガジン』を買っていた。しかし、映画の撮影で遅くなり店頭で入手できなかった三島は、翌朝を待てず、深夜に編集部を訪ね入手した。三島もまた、「あしたのジョー」の熱烈な読者であった。」

そんな「マンガ読み」としての三島は、貸本時代の時代物劇画、なかでも平田弘史がお気に入りだったようだ。
三島が割腹自殺を図った1970年の「サンデー毎日」2月1日号に掲載された随筆「劇画における若者論」(作品社『日本の名随筆 別巻62 漫画』南伸坊編に収録)では、貸本時代の時代物劇画に野性や活力といった、いわばアウトサイダー的なエネルギーを感じ取り、そこに魅力を感じていた様子が読み取れる。
その随筆のなかで三島が「かつて時代物劇画に私が求めてゐた破壊主義と共通する点がある。」として大絶賛しているのが、“ギャグの王様”赤塚不二夫とフジオプロによる『もーれつア太郎』だ。それまでどちらかといえば“おとなしめ”だった日本のギャグマンガ界において、赤塚不二夫のナンセンス・ギャグは破壊的であり、革命的とさえ映ったのだろう。三島は「『もーれつア太郎』は毎号欠かしたことがなく、私は猫のニャロメと毛虫のケムンパスと奇怪な生物ベシのファンである。」と書き記している。
日本の文学史に燦然と名を残す文豪が、決意の割腹自殺を控えた時期にも、娘や息子たちとマンガ誌を奪いあうようにして読んでいたという事実は、多くの人々に知られていいはずだ。

『もーれつア太郎』の主人公・ア太郎は、八百屋の少年である。父と2人暮らしだが、父・×五郎は仕事もせずに易者のまねごとに熱中する困り者。あげく×五郎は死に、ア太郎はひとりで八百屋を切り盛りすることになる……と、設定だけ聞くとなにやらお涙頂戴の人情話のようだが、×五郎はあの世から送り返されてきて幽霊のままア太郎と同居するし、ニャロメやケムンパスやベシといった謎の生物が出てくるわ、とにかくシュールでナンセンスに彩られたドタバタ・コメディである。

どうしてもギャグマンガは時代の空気感や世相をダイレクトに反映するために、ストーリーマンガに比べて風化が速い。21世紀の現代に読むと、イマイチわからない箇所もあるだろう。どのような分野においても、“コロンブスの卵”を後世に正確に評価するのは難しい。
しかし、赤塚不二夫の発想の飛躍やギャグのセンスなどは、今読んでもぞんぶんに感じ取れるはずだ。

ちなみに『もーれつア太郎』は、小学館「週刊少年サンデー」で1967年から1970年にかけて連載された。
まったく同じ時期、赤塚は講談社「週刊少年マガジン」では『天才バカボン』を連載。『天才バカボン』はそのあと「少年サンデー」に移籍し、一時期「少年サンデー」には『モーレツア太郎』と『天才バカボン』が同時掲載されたという、現在では考えられないような掟破りを成しとげている(「サンデー」移籍後の『天才バカボン』は約半年で打ち切り。講談社「週刊ぼくらマガジン」を経て「少年マガジン」へと復帰する)。
こうした破天荒さも含め、『もーれつア太郎』は破格の作品だったのである。



<文・加山竜司>
『このマンガがすごい!』本誌や当サイトでのマンガ家インタビュー(オトコ編)を担当しています。
Twitter:@1976Kayama

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