小泉八雲の怪談「雪女」を現代ファンタジーとしてアレンジした『雪ノ女』で、第6回「『このマンガがすごい!』大賞」の最優秀賞を受賞した相澤亮先生。
繊細で瑞々しいタッチが生み出す透明感あふれる世界観はオンリーワンの存在感。審査員からも絶賛された。これからますます注目が高まること間違いなしの相澤先生の漫画家としてのルーツ、デビューまでのいきいさつ、作品づくりのこだわりをうかがいました!
相澤先生のインタビュー第1弾はコチラから!
『雪ノ女』の試し読みマンガも絶賛公開中!
その世界観に感激した『バタアシ金魚』
――もうひとつのインタビューでもおうかがいしましたが、バンド・デシネ(以下BD)の影響にしても、作画に薄墨を使うところにしても、相澤先生のマンガづくりはとにかく異色な感じがします。もともとはどういったマンガに影響を受けてきたのでしょうか?
相澤 小さい頃は普通に「週刊少年ジャンプ」を読んでましたよ。『アイシールド21』[注1]とかすごい好きでした。
――『ONE PIECE』とか?
相澤 『ONE PIECE』は小学校1年の時にアニメが始まったので、普通に見てましたよ。
――そうか、『ONE PIECE』も18周年だから、子ども時代に読んだ方がもう漫画家になっているんですね。
相澤 でも高校生くらいから、昔の作品を掘るようになっていったんです。そうなると「オレはこんなのも知ってるんだぜ」ってトんがる時期があるじゃないですか(笑)。それを経て大学生くらいの頃に、「やっぱり週刊誌で連載するのって、すごいことだな」と思い直し。そんな時に出会ったのが『バタアシ金魚』でした。
――おー、ギャグマンガですよね?
相澤 もう『バタアシ金魚』がすごい好きで、望月ミネタロウさん[注2]にすごく影響を受けてます。
――どのあたりがお好きなんですか?
相澤 ギャグマンガなんですけど、爽快感というか、透明感があるように思うんです。特に最終回が好きなんですよ。
――どんな最終回でしたっけ?
相澤 ネタバレになっちゃいますが……。本当にエピローグ的な話なんですけど、女の子と飛び込み台までのぼって、愛の言葉かなんかを言って、それで飛び込むんです。その時の水の表現とか透明感とかくだらなさとか、その世界観がスゴイ好きなんですよ。
――リアルタイムで呼んでいたわけはないですよね?
相澤 そうです。ある程度大人になってました。
――ほかに影響を受けた作家は?
相澤 福島聡さん[注3]です。「コミックビーム」で描かれてた方です。『機動旅団八福神』を中学時代に読んでいたので、無意識下ですごく影響を受けているんじゃないかな? ちょっと世界観が暗いんですよね。
絵はあまり好きじゃない!? それでも漫画家になったワケ
――マンガを描き始めたのはいつ頃からですか?
相澤 ノートに描いていたのは中学生くらいからです。初めてちゃんと原稿に描いたのは、高2の時でした。
――「アフタヌーン四季賞」に応募したのはいつですか?
相澤 19歳のときです。
――なぜ「四季賞」を選んだんでしょうか?
相澤 最初に描いたのが、160ページだったんです。
――それは長い。「四季賞」にはページ制限がないですからね(笑)。
相澤 もう「四季賞」しかないですよね、一択でした(笑)。「アフタヌーン」(講談社)は読んでいたので、なんか受け入れてくれそうだな、という感じがしてました。それが準入選。
――大学生の時ですか?
相澤 そうです。大学は美大に通ってて、彫刻を専攻してました。
――彫刻!?
相澤 絵……あんまり好きじゃないんですよ(笑)。
――えぇ!?
相澤 本当は粘土とかやってるほうが好きなんですよね。でも大学の受験中も、マンガは描いていたかな?
――つまりファインアート系の絵は好きではないけど、マンガの絵を描くのは好きだったわけですね。
相澤 彫刻は好きなんですけど、自分がやることじゃないな、という気がしてました。
――いっぽうでマンガはずっとやりたいと思っていた?
相澤 そうですね。でも大学に入ってからは、彫刻を一度本気でやろうと思っていました。彫刻とか美術ってアカデミックな世界なので、すごく狭いコミュニティの世界なんですよ。評論家がいて、評論家に向けて作品を作って……みたいなことに憧れてはいたんです。でも、ずっとなじめなくて。大学時代は、マンガの道に進もうかどうかずっと迷っていたんですけど、卒業したら足かせが取れたような気持ちになりました。もうやりたいことやっていいでしょ、みたいに(笑)。
――そういう気持ちになった時に、彫刻とか美術は抜け落ちてしまったんですか?
相澤 いまだに好きですし、展覧会とかにもよく行きますよ。でも自分が結果を出したいのはマンガだ、ということに気づいた……というか「本当は前から気づいていたでしょ?」みたいな感じでしょうか。
――彫刻や美術の狭いコミュニティと比べたら、たしかにマンガは「なんでもアリ」ですよね。
相澤 マンガの場合は、純粋に「鑑賞する人」と「買う人」がかぎりなくイコールじゃないですか。美術の世界の場合は、かならずしもそうとはかぎらない。だからマンガの世界は、その点ではすごく潔いな、って思います。そのほうが自分も気持ちよくできるな、と。
――ただ、広大で自由に見えるマンガの世界も、かなり細分化されています。自分の作品がどこに響くだろうかと、悩んだりしませんか?
相澤 それは思います。1回「コミティア」[注4]に出したこともあるんですけど、全然見向きもされなかったので、これは明確に客層が違うんだな、と思いました。
――少年誌向きでもないですしね。
相澤 だから自分の作品がどの層に受けるのか、いまだにわからないんです。はたして自分を受け入れてくれる場所があるのか……。
――「電脳マヴォ」に作品を掲載するようになった経緯はどういったものだったんでしょう。
相澤 「四季賞」で準入選を取ったあと、担当さんに「もっと高いところを狙いましょう」と言ってもらえて、それでいっしょに作品を作っていたんです。でもそれがうまくいかなくて……。そんな時に「マヴォ」で敗者復活新人漫画大賞というのをやってたんですよ。
――それはどういう賞ですか?
相澤「ほかの新人賞でダメだった人を拾う」という趣旨です。なので、どこかの賞に1回出してダメだった作品を応募してください、という規定でした。
――そんな賞があったんですね!
相澤 いや、その時の1回しかやらなかったんですけどね(笑)。それ以降は「マヴォ」の担当さんに見てもらって、2~3年はやってたと思います。
――「『このマンガがすごい!』大賞」にはどういう経緯で?
相澤 公募です。「マヴォ」は「いつかお金にします」というスタンスなので、「相澤さんのほうで動けたら、動いてもらってもいいですよ」という感じなんですよ。だから「マヴォ」でいい作品を作って、それをどこかに持ち込もうと思っていたんです。
――ただ、ページ数的に、持ち込み先がかぎられてしまう。
相澤 そうなんですよ。「四季賞」はちょっと疎遠になっていたので、なんか申し訳ないというか、「どのツラ下げて」みたいなところがあったので出せず……。
――いや、先方はそういうことは気にしないと思いますよ。
相澤 えっ、そういうものなんですか!? まあ、今回は宝島さんのほうに応募して、そうしたら賞をいただけました。
- 注1 『アイシールド21』 アメフトを題材にした少年マンガ。原作は稲垣理一郎、作画は村田雄介。「週刊少年ジャンプ」にて2002年34号 ~ 2009年29号まで連載。2005~08年までテレビアニメも放送された。
- 注2 望月ミネタロウさん 旧ペンネームは望月峯太郎。改名前の代表作に『バタアシ金魚』のほか『鮫肌男と桃尻女』『ドラゴンヘッド』『座敷女』など。「モーニング」にて『東京怪童』連載途中に望月ミネタロウに改名。近年の作品に『ちいさこべえ』など。
- 注3 福島聡さん 「コミックビーム」「Felloes!」「ハルタ」などエンターブレイン系のマンガ雑誌で主に活躍する。代表作に『機動旅団八福神』『星屑ニーナ』など。現在は「ハルタ」にて『ローカルワンダーランド』を連載中。
- 注4 コミティア 東京で年4回開催される自主制作漫画誌展示即売会。コミケと違い、オリジナルマンガが中心。「コミティア」のイベントは東京以外にも関西や名古屋などでも行われている。