『BTTF』は、ご存じのとおりタイムトラベルによって起こりうる未来の出来事を改編しようとし、その影響を最小限に抑えようという「タイムパラドックス」をテーマにしている。映画の劇中では目的を達成するために、多くの時間移動を繰り返すが、脚本の絶妙なバランスによって、時系列的な混乱をきたさないよう仕上がっているが、それでも時系列的にいくつかの疑問が生じる箇所が存在している。そのなかで、いわれてみれば気づく大きな謎としては、「『PART.3』のラストで、ドクが乗ってきた蒸気機関車型のタイムマシンはどうやってつくられたのか?」という要素が存在する。
『PART.3』のクライマックスで、マーティは未来へと戻る時間制限のなか、デロリアンに乗りこむのが間に合わなかったドクを西部開拓時代の1885年に置いたまま現在に戻って来る。しかし、1985年に到着した直後に、デロリアンは到着した線路上で電車に轢かれて破壊されてしまう。そしてラストシーンでは、デロリアンがなくなってしまったがために二度とタイムトラベルをすることができず、ドクに再び会うことができないと悲しむマーティの前に、蒸気機関車型のタイムマシンに乗ったドクが現れる。
マーティの気持ちをいい意味で裏切るというカタルシスのあふれるシーンだが、冷静に考えてみると複雑な機構を必要とするタイムトラベルの技術を、ドクは1885年という時代にどうやって獲得したのかは謎のまま終わってしまう。
本作では、映画では明かされなかったその「謎」に焦点を当てた物語を、ドクが記憶を喪失してしまったという状況と重ね合わせることでミステリー仕立てに展開。もちろん、今回も絶妙なシナリオによって、読みながら混乱するような状況には陥らないものの、時系列が複雑に絡み合っていくことになる。それこそが、副題にある「コンティニュアム・コナンドラム」、直訳すると「時系列の問題」という部分につながっていくのだ。
劇場版3部作のきれいな終わり方をした物語の「続き」を描くにあたって、本作はストーリーの巧妙さ、さらに『BTTF』らしさを継承するための要素のちりばめ方にもかなり気を使っているのがわかる。
シリーズとして欠かせない要素であるマクフライ家の人々、永遠のお邪魔キャラであるビフ・タネンとその血族との絡み、『PART.3』のラストで登場したドクの家族の詳細、そして「時代を行き来するタイムマシンはやはりデロリアンでなくちゃ!」というファンの声にちゃんと応えるようなデロリアンの復活劇などなどを、メインのストーリー展開に違和感がないように挿入しつつ、「わかってらっしゃる」とディープなファンも納得のシーンやシチュエーションをしっかりと用意。
その見事な語り口は、ありえなかった『PART.4』への思いを実現させてくれたような仕上がりとなっている。
2015年10月21日の「未来の日」に向けて、現実の世界では、『BTTF』の未来に登場していながらも、実現してなかったアイテム(ワンタッチでくつひもが結べるスニーカーや、地面から浮いて移動できるホバーボードなど)を実際につくり出そうという動きが見られた。それらは、単なるアニバーサリー的な意図を越えて、「過去に描かれた未来世界への現代技術の挑戦」という意味合いも多く含まれていたといえるだろう。それは、『PART.3』でのドクの最後のセリフ「君たちもいい未来をつくりたまえ!」という言葉に応えるような『BTTF』ファンの行動だといえるだろう。
こうしたファンの行動によって「未来の日」は単なるアニバーサリーに留まらず、ほかの作品にはないかたちでの『BTTF』の再評価につながった。そして、その盛り上がりの連鎖によって、コミックスというかたちでその後のストーリーが楽しめたことは喜ばしいことだ。
そして、『PART.3』の公開から30年近くが経過した現在でも、描かれきれなかった『BTTF』の世界は広がり続けている。本作『コンティニュアム・コナンドラム』もそのおもしろさから本国での人気が高かったようで、本エピソードが終了したあとも『BTTF』のコミックブックのシリーズはそのまま継続。この後も、さらなる『BTTF』のエピソードが描かれ続けていたのだ。はたして、どのようなエピソードで『BTTF』はさらに世界を広げているのか? 今後のシリーズの邦訳にも期待したい。
<文・石井誠>
1971年生まれ。アニメ誌、ホビー誌、アメコミ関連本で活動するフリーライター。アメコミファン歴20年。
洋泉社『アメコミ映画完全ガイド』シリーズ、ユリイカ『マーベル特集』などで執筆。2013年から翻訳アメコミを出版するヴィレッジブックスのアメリカンコミックス情報サイトにて、翻訳アメコミやアメコミ映画のレビューコラムを担当している。