思春期と親子関係
――『惡の華』では、主要登場人物の家庭がしっかりと描かれます。
押見 そこは結構ご指摘をいただきます。自分としては、親の比重が大きな育ち方をしたので、思春期を描こうとすると、親の問題もかなり大きなウェイトを占める問題となります。
――思春期って、まだ親の影響から抜け出せていない状況ですよね。
押見 いまだに抜け出せていないかもしれませんけどね。
――どのへんで、そういうふうにお感じになりますか?
押見 今、子どもを育てている過程で、僕が完全に親と同じ行動パターンになっていることがよくあります。
――お子さんが生まれたのは?
押見 『惡の華』の連載前、最初の打ち合わせの頃に生まれました。
――お子さんが生まれてなかったら、また違う物語になっていたかもしれない?
押見 たぶん違うものになっていたかもしれません。もっと成長物語っぽくなっていたように思います。子どもが生まれるまでは「自分、けっこう成長したな」みたいな錯覚に陥っていたんですね。ただ、子どもが大きくなってくるにつれて、自分があまり成長していないことを自覚させられることがいっぱいありまして(笑) またもとに戻ってきた感じはあります。
――ラジオ出演の際に「エッセイマンガは自分では描けない」と言ってましたね。他人が描いたものは楽しめるけど、「自分がパパ面をして描くのが恥ずかしい」と。
押見 ふふふ(笑)。そうですね、恥ずかしいというより、自分が許せないですね。
――なにか社会的に求められる役割とか、外面とか、そういった部分に対してすごく嫌悪感があるのかな、と思いました。
押見 苦手ですね。子どものころからずっとそのへんがあります。人間不信って言ったらアレですけども。
――なにが影響しているんでしょう?
押見 親戚関係が濃厚だったんですよ。それが理由の100%ではないですけど。親が親戚とあまり折り合いがよくなくて、そうなると親戚の集まりとかで孤立しますよね。僕は従兄弟と遊びたくても、親の側にいたほうがいいのかな、とか。
――地方にもよりますが、血縁関係の結びつきは、いまだに根強いですよね。
押見 それがけっこうあるのかな、と最近思います。ラジオで人生相談とか聞いてると、やっぱり親との確執ってあとあとまで引きずるなぁ、と自分のことでも思うんですよね。
――『悪の華』とか「ガロ」を読むようになったのはお父様の影響ですか?
押見 母親もですね。渋澤龍彦とか、ユイスマンスとか。
――ボードレールは母親に宛てた手紙で、「僕は自分のことを、生きるという罰を不幸にも宣告されてしまったように感じている」と書いてます。実の親に言うことじゃねぇだろ、という感じですが。
押見 いやぁ、気持ちはわかります(笑)。
――いま親子関係は円満ですか?
押見 表面上は円満ですよ。まあ、いままで抱え込んできたものが、子どもが生まれてから、ボロッと出てしまった感はあります。親子愛とかに対して。
――春日が「ただいま」と言うシーンは、ひとつのハイライトでした。
押見 そうですね、人生で最初に決着をつけるところだと思いますので。