『パレス・メイヂ』誕生秘話、そして今後の彰子と御園の2人について語っていただいたインタビュー前編。後編では、先生のデビュー前、そして自ら暗黒時代とおっしゃるあの書店員時代についてお話を伺った。
前編はコチラ!
読み切り予定が大ヒット! 『パレス・メイヂ』久世番子【前編】
中学生から雑誌投稿、同人誌制作に夢中!
——久世先生のお絵かき&マンガ創作歴は『私の血はインクでできているのよ』(講談社)にバッチリ描かれていますが……子どもの頃から創作意欲がすごかったんですね(笑)。読者投稿にもかなり心血を注いだようで。
久世 「ニュータイプ」(KADOKAWA)とかのアニメ雑誌を中心に……全国誌に載る快感を覚えました(笑)。
——これもある種、漫画家のエリートコースですよね。
久世 でもこの頃の超エリートは「ファンロード」の常連投稿者なんですよ。今でいえばpixivでブイブイ言わしてるような感じ! 私、「ファンロード」に『るろ剣』のイラストは載ったんですけど、オリジナルキャラが載らなかったのは悔しかったですね。
——中学生時代、毎月かなり投稿していたんですか?
久世 それほどではなかったかな。同人誌も始めていて、そっちにもお金がかかりましたから。
——中学・高校とまわりにもいいマンガ仲間がいたんですね。いっしょに同人誌を作る友だちがいると、より盛り上がりそうです。
久世 そうですね、私は愛知出身で、都会の名古屋には電車で出られるくらいの地域で。東京のコミケほどではないけど、ちゃんと同人誌即売会もありましたし。
——先生が当時描かれた「名古屋鉄道研究報告書」とか、今っぽい同人誌のように思えますね。
久世 えっ!? 20年前の同人誌ですよ!?
——先取り感がありますよ。アニメやマンガのキャラじゃなくて、身近な存在を萌えに落としこむという感覚が。
久世 そう分析されたのは初めてです(笑)。
——この頃、愛読していたマンガは?
久世 中・高時代は西炯子先生、高河ゆん先生に夢中でした。小学生時代はりぼんっ子だったんですが、マーガレット系に行かず、新書館系まっしぐらです。
——そういえば、大学で近代の歴史を勉強するきっかけもマンガにあったりしたのでしょうか?
久世 おそらくそうですね。明治・大正の雰囲気が好きになったのは、西炯子先生の『三番町萩原屋の美人』などの影響は強いと思います。
——同人誌活動は、大学時代も途切れることなく続けていた?
久世 オリジナルで、なんだか文学少女的な暗い話を描いてました。太宰治が好きだったせいもあって。あ、戦前の皇族ものを描いてたのもこの頃です。同人誌は全然売れなかったですけどね、それでも楽しかったんです。即売会も和気あいあいとしたムードで……ちょっとでも「読みました」って言ってもらえたり、好きな作家さんに会えたり。そういう交流を楽しめるだけで満足でした。
——はっきりと漫画家を目指すのは、就職活動のかわりとしてだったそうですが。
久世 私は2000年卒業で、もう就職氷河期ど真ん中だったんですよ。マジメにやったとしても就職は厳しそうなわけだし、それなら「漫画家になる」って言っても許してもらえそうかなと。
——ほかにはまったく選択肢を考えていなかったんですか?
久世 なれると思ってたんですよね。「私、絵うまいもん」と思ってましたし(笑)。まあ、就職活動のガイダンスとかに出るのがイヤだったというのもありますけどね。で、投稿作を送ったらひっかかりまして……卒業直前にデビュー作が載ったんです。「やったー! これでプロだ!」と思ったんですが、そう甘くはなく。ここから長い暗黒時代が始まるんですよね……。