前編では『甘々と稲妻』の誕生秘話や、『料理』というテーマについての想いをお話いただいた雨隠ギド先生スペシャルインタビュー。後編では、先生の漫画家デビューまでの道のりや、『甘々と稲妻』以外の作品についてもお話を伺った。
前編はこちら!
【インタビュー】先生×女子高生×ごはんで好きなもの全部のせ! 『甘々と稲妻』雨隠ギド【前編】
中学生時代の作品は『ああっ女神さまっ』そっくり!?
——雨隠先生は、子どもの頃どんなマンガを愛読していましたか?
雨隠 最初に自分で買ったのは『ドラえもん』ですね。映画もよく見ましたっけ。『ドラえもん のび太の宇宙小戦争』で、小さい宇宙人を家にかくまって、のび太ママがご飯を出すシーンがあるんです。ちっちゃい宇宙人にとっては一粒のご飯がすごく大きくて「いいなぁ」と思ったのが印象深いです。
——またご飯ですか!(笑)
雨隠 藤子先生のごはんシーンってすごく好きなんですよ。『怪物くん』でも夜中に山の上でおにぎり食べるシーンがあって……。あれもおいしそうでした! ——少女マンガ系ではいかがですか? 雨隠 小学生時代は「なかよし」「りぼん」育ちですね。『美少女戦士セーラームーン』の1巻で、主人公のうさぎちゃんが麻布十番を歩きながら「この街はホント素敵」みたいにつぶやいてるシーンがあって、「どんな街なんだろう?」って憧れてました。今考えると、中学生なのに麻布十番って……すごい中学生だなと思いますけど(笑)。 ——真似して絵も描いてみたり? 雨隠 私だけじゃなくて、まわりの子もみんな描いてましたね。うっすら漫画家になりたいとは思ってましたけど、小学校の卒業文集では将来の夢はイラストレーターって書いてるんですよ。漫画家って素直に書けなくて……響きがかっこいいからイラストレーターってことにしたんじゃないかな(笑)。 ——その頃にはマンガも描いていたんですか?
雨隠 小学生の頃は、雑誌ごっこという感じです。ノートに「新連載第1話」ってアオリまで書いて、2~3ページ描くと「つづく」になっちゃう。 ——ストーリーマンガをしっかり描き始めるのは中学生の頃ですか? 雨隠 そうですね。中学生のとき、トーンを文房具屋さんで見つけたんです。買ってはみたものの使い方がわからなくて、トーンの上から鉛筆で線を書いて、はさみで台紙ごと切って貼る、という不思議なことをやってましたね。 ——トーンは憧れですよね。なんだかプロっぽい感じがしますし。 雨隠 それを中学の行事のしおりのイラストに使ったら、マンガ好きな子が食いついてきたんですよ。ほかのクラスから訪ねてきて「この、トーン使ったイラスト描いた子だれ?」って。 ——中学生におけるトーンの求心力、すごすぎます。その子もマンガ友だちを求めていたんですね。 雨隠 おかげで仲良くなって……彼女が原作を書いて、私がマンガを描くようになったんです。 ——どんなマンガだったのでしょう。 雨隠 一言で言えます。どこを取っても完全に『ああっ女神さまっ』でした(笑)。友人が書いた原作もまんまでしたし、私の絵もまんまで。 ——中学生女子が『ああっ女神さまっ』にハマっていたとはちょっと意外ですね。 雨隠 青年誌のマンガではありましたけど、キラキラしてて衣装の装飾も多いし……女子のファンも多かったと思いますよ! ——けっこう長く続けて描いていたんですか? 雨隠 そこそこ描いては、同級生に回して読んでもらったりしていたんですが、いつのまにか自然消滅してました。今、彼女、どうしているかなぁ……。 ——高校時代になると、マンガ活動はさらに本格化するのでしょうか。 雨隠 それが高校時代は全然なんですよ。話を頭の中で思い浮かべはするんですけど、描きたいシーンだけ描いて満足して。しばらくは、マンガからだいぶ離れていました。進学して、念願だった幼稚園の先生になって……。 ——そこから何か、マンガの道を思い出すきっかけがあったのでしょうか。 雨隠 3年ほど幼稚園に勤めていたんですけど、なぜか働き出してから「マンガ描きたい」という気持ちがふくらんできちゃったんです。それで退職してしばらくは同人誌などの自分だけが満足できるマンガを大量に描いていました。 ——投稿はしてなかったんですか? 雨隠 してなかったです。あるとき、ハッと「あ、ちゃんとしなくちゃいけない。再就職するか、マンガを仕事にするかマジメに考えなきゃ」と。その頃、プロデビューしている友人に相談したところ、「本気でやるなら編集さんを紹介するよ」と言ってくれて。それでネームを見てもらって、新書館さんでデビューすることができました。 ——「漫画家になろう」と決意してからデビューまでは早かったんですね。 雨隠 そうかもしれません。漫画家になったのは遅かったけれど、やろうと決めてからの動きは早かったです。ペン先等の道具や技術的なことも、まわりの友人から学んだことが多かったと思います。