平和なんてものは次の戦争の準備期間だ――。舞台は19世紀帝国主義時代の架空軍事国家。軍事、政略の才をもって出世街道を突き進む若きエリート・バルツァー少佐。バルツァーは同盟国の仕官学校へ軍事顧問として赴任することになるが、やがて生徒たちとともに時代の大きなうねりにのみこまれていく……。
士官学校、宮廷、戦場を舞台に壮大かつ壮絶なドラマを展開する『軍靴のバルツァー』は、密度の濃いストーリーはもとより華麗な作画、緻密な銃器描写などが支持され、「このマンガがすごい2013」のオトコ編にもランクインした。今回は単行本最新7巻の発売を記念して中島三千恒先生にお話をうかがった。
作品のモデルになったのは19世紀のプロイセン!
――『軍靴のバルツァー』は架空の国を舞台とした戦記物語です。架空とはいえ、モデルとなった時代と国があるんですよね?
中島 はい、19世紀のプロイセン[注1]です。
――日本だと幕末から明治維新の頃。時系列的には『ベルサイユのばら』[注2]や『栄光のナポレオン―エロイカ―』[注3]のあとの時代で、場所としては現在のドイツに相当しますね。
中島 そうです、ドイツが統一されていく過程の時代です。
――かなりニッチというか、一般的な日本人にはなじみのない世界です。中島先生はかなり歴史好きなんですね。
中島 マニアな人たちから見ればまだまだなんでしょうけど、好きは好きです、ハイ。
――マニアの多い分野ですからね。
中島 もともと高校生の頃から『三国志』が好きだったんです。それ以来、戦記ものや戦史もの、戦略研究の本なんかを漁るように読んでいったんですけど、その方面でよく出てくる名前がクラウゼヴィッツ[注4]、モルトケ[注5]、ジョミニ[注6]、リデルハート[注7]……。歴史ファン界隈の掲示板では、「知っていて当然」みたいな扱いなんです。
――「これくらいは読んでなきゃモグリだ」みたいなことを言う、うるさがたが大勢いるジャンルですからね(笑)。
中島 高校生だった自分は、そういうのを真に受けて「読まねば!」と思いこみ、岩波文庫の『戦争論』とかを買ってきてしまったわけです。高校生にわかるわけないんですよね(笑)。だからクラウゼヴィッツさんたちは、本棚と頭の片隅に閉まっておいたんです。
――そのトビラが再び開くのは?
中島 しばらくは趣味で『三国志』のマンガを描いていました。魏延とか馬超とか王平とか[注8]、不遇武将が好きなんですよ。でも彼らのよさを口で説明しようとしたり、掲示板で議論したりするのは不毛かな、と思いまして。ただ、webで『三国志』の武将を主人公にした小説を書いているファンはいっぱいいるじゃないですか。それは素敵だな、と思っていたんですね。それだったら自分は、マンガで彼ら不遇武将のよさをアピールすればいいじゃないか、という発想がマンガを描くキッカケなんです。
――『三国志』が漫画家への入口でしたか!
中島 好きな題材とか人物をプレゼンテーションする、というのがそもそものマンガを描く動機だったりします。
――それは動機としてはなかなか珍しい部類ですね。
中島 それからプロとしても『三国志』ものを描くようになったんですけど、正直『三国志』疲れしていた時期があって……。
――『三国志』疲れ!(笑)
中島 屋根瓦に龍があるような、中国の屋根を描くのとかに若干疲れていたんですよ。
――それはたしかにたいへんそうです。
中島 そんな疲れた心を癒してくれたのが、『Axis powers ヘタリア』(日丸屋秀和)[注9]だったんです。
――国擬人化マンガの。
中島 そうです。あの堅苦しさのない作風が大好きで、最初は気軽に楽しく読んでたんですけど、あの……何かにハマると、オタク的気質で色々集めたくなるじゃないですか。
――ああ、キャラクターグッズとか?
中島 気になる国の資料です!
――そっちですか? ほとんどの人は、キャラ萌えを楽しんでいる作品なんじゃないんですか?
中島 「日本国内で、個人レベルで手が届く資料は出来るだけ買いそろえたい!」と思いまして。
――……そこでクラウゼヴィッツとかモルトケらプロイセンの軍略家に対する興味が、よみがえってきたわけですね。
中島 埃かぶってた本を慌てて引っ張り出しました。そうやって調べはじめると、自然とそういうのが好きな人同士が集まりになるんです。女性の多い界隈だったんですけど、経済や歴史の研究が本職だったり、旧共産圏の国に凄く詳しい方がいらしたりと、お話していていい影響と刺激を受けることができました
――類は友を呼びましたか。
中島 趣味を通じた交流をしながら楽しく資料を集めたり情報交換したり、ドイツ旅行に行って、現地の郷土資料本を買い漁りつつ、風景や建物の写真撮影をしたり……という遊びを2年ぐらいやっていたら、どうにも使いようのない資料が膨大にたまっていたんです
――結果的にその趣味期間が、作品を描くための準備期間になったんですね。
中島 作品に必要な資料の6〜7割は、この趣味期間に集めました。
――連載開始から3年以上が経過して、そろそろ取材旅行にも行きたくなってませんか?
中島 行きたいです! フランスのパリにあるアンヴァリッド廃兵院[注10]という、もとが軍病院だった軍事博物館に行ってみたいです。そこには5巻で登場した機関銃(後装式多砲身〝斉射砲〟)[注11]の実物もあるし、世界各国の軍服が勢揃いしているんですよ。
- 注1 プロイセン王国。18世紀から20世紀初頭にかけて存在したヨーロッパの王国。現在のドイツ北部からポーランド西部を領土とした。首都はベルリン。
- 注2 「ベルばら」の通称で知られる池田理代子のマンガ。1972年から1973年にかけて「週刊マーガレット」(集英社)にて連載された。フランス革命前後のフランスを舞台に、男装の麗人オスカル、フランス王妃マリー・アントワネットらの波乱に満ちた人生をドラマチックかつ美麗に描き大ヒット、宝塚歌劇団による舞台やアニメもブームに拍車をかけ社会現象を巻き起こすほどになった。2014年8月25日には40年ぶりとなる新エピソードを収録した最新刊が発売され話題となった。
【ロングレビュー】『ベルサイユのばら』 - 注3 1986年から1995年にかけて「婦人公論」(中央公論新社)にて連載された池田理代子のマンガで、ナポレオン・ボナパルトの台頭からその死までを描く。「ベルばら」の続編的作品で「ベルばら」の登場人物が一部作中に登場する。
【きょうのマンガ】『栄光のナポレオン―エロイカ―』 - 注4 クラウゼヴィッツカール・フォン・クラウゼヴィッツ(1780〜1831)。プロイセンの軍人にして軍学者。プロイセンで軍制改革を推進した。著書『戦争論』は戦争の理論的な研究書として広く知られている。内容の大半は、彼が陸軍大学校の校長の時に執筆された。
- 注5 モルトケヘルムート・カール・ベルンハルト・フォン・モルトケ(1800〜1891)。プロイセンの参謀総長を務めた軍人。普墺戦争や普仏戦争でプロイセンを勝利に導く。近代ドイツ陸軍の父。軍事顧問としてオスマン帝国に派遣されたこともある。のちの第一次大戦期のモルトケ(ヘルムート・ヨハン・ルートヴィヒ・フォン・モルトケ)と区別する意味で「大モルトケ」とも呼ばれる。
- 注6 ジョミニアントワーヌ・アンリ・ジョミニ(1779〜1869)。スイス出身の軍人、軍学者。ナポレオンに仕えて頭角を現し、のちにロシア帝国に移る。のちロシア皇帝となるアレクサンドル2世の軍事教官となり、著書『戦争概論』を執筆する。
- 注7 リデルハートバジル・ヘンリー・リデルハート(1895〜1970)。イギリスの軍人。退役後に軍事評論家・研究家として活動し、『戦略論』など数々の著作を執筆する。
- 注8 いずれも『三国志』に登場する武将。『三国志演義』の主人公・劉備の開いた蜀漢に仕えた武将たち。
- 注9 日丸屋秀和が自信のwebサイト「キタユメ」にて連載しているマンガ。「国を擬人化する」という斬新な発想がヒットし、書籍化、アニメ化もされブームを起こした。舞台は第一次世界大戦から第二次世界大戦の頃で、ヘタレな主人公のイタリアと彼と同盟を組むドイツ、日本を中心に、対立するイギリス、アメリカなどの「連合国」をはじめ世界の諸国とのあれこれを史実、ジョークを交えコミカルに描く。
【きょうのマンガ】『 Axis powers ヘタリア』https://konomanga.jp/guide/13901-2 - 注10 正式名称はオテル・デ・ザンヴァリッド。1671年にルイ14世が傷病兵を看護する施設として計画した歴史的建造物。付属する礼拝堂は建築史上でも有名で、地下墓所にはナポレオン・ボナパルトの棺が安置されている。
- 注11 4巻第18話で初登場し、5巻の撤退戦で大活躍する「後装式多砲身〝斉射砲〟」のこと。モデルとなっているのは、普仏戦争の際にフランス陸軍が使用した「モンティニ・ミトライユーズ」。バルツァーが作中で「そんな砲使い物になんねーぞ」 と言っているように、実戦ではたいした戦果をあげられなかった。