人のコマ割りをマネしてもいい!?……「マンガ学校」の教え
——中高時代にマンガの栄養をたっぷり吸収して……次にペンをとるのはいつごろですか?
ふみ 20歳のときです。大学では社会学部、心理学科だったんですけど、ちょっと思った感じと違って3年で中退するんですよ。それで、マンガ描こうと。
——何かきっかけがあったのでしょうか。やっぱりマンガが一番好きなものだったから?
ふみ それはそうでしょうね。そういうタイミングのときに、描こうと思い立ったということは。2回ほど4コママンガを投稿したものの全然引っかからずで、一度は就職するんです。でも、結局身体を壊したりして1年で仕事を辞めて。で、もう1回投稿したら「Kiss」で拾っていただいたんです。
——デビューは4コママンガだったんですよね。
ふみ そうですね。ありがたいことに連載もやらせていただいて。もちろん4コマでもいろんなことができるんですけど、自分はストーリーマンガを描きたいなと思い至って、ここからまた仕切り直しです。
——その後、「西島大介のひらめき☆マンガ学校」に参加されたわけですね。
ふみ とにかくこのままではいけないと思っていた頃、たまたま生徒募集の案内を目にして、応募したら受かったんです。
——「西島大介のひらめき☆マンガ学校」の様子は書籍にもなっていますが、ふみ先生のようにプロ経験のある方だけでなく、いろいろな人が集まっていて、教え方もかなり実験的なところがおもしろいですね。
ふみ 得たものは、めちゃくちゃ大きかったです。参加していなかったら今こうやってマンガで生活できるようにはなっていなかったと思います。
——どんなことが自分の血肉になったとお考えですか。
ふみ それまで、私はマンガが好きすぎて萎縮しちゃってた部分があったと気づかされましたね。おもしろいマンガを読んだら「私にはこんなマンガは描けない」とか。ちょっとでも人の真似をしたらいけないと思いすぎていたふしがありました。たとえば「マンガ学校」では、一例を挙げると「人のコマ割りを真似してみよう」みたいなレッスンがありました。私、そんなことはしてはいけないって思い込んでたんですけど、その意図は真似をしていくうちに自分のものが見つかるというようなことだとわかったんです。
——マンガを敬うあまりに、自分の縛りが厳しくなりすぎていたんですね。
ふみ そうですね。それから、雑誌や担当編集さんとの相性があるということを教えてもらったことでも、気が楽になりました。たとえば、ある雑誌に持ちこんで見てもらって、箸にも棒にもひっかからなかった作品が、別の雑誌、別の編集さんには「とてもいいよ」と言ってもらえることがあるとか。
——これ、漫画家志望の方はなかなかわからないところですよね。持ちこみをするのは勇気がいりますし、そこでダメだったらもうすべて否定された気持ちになってしまう方が多いと聞きます。
ふみ そういえば、ここの同級生に「ふみさんは『COMICリュウ』はあってると思うよ」とアドバイスしていただいたのがきっかけで、持ちこみをしたところ掲載が決まったということもありまして……そういう意味でも、本当になくてはならない経験だったと思います。